2011年10月4日火曜日

Let It Be・・・3LDK生活

その店の楽屋も二人だと、やはり狭いし、
俺よりもちゃんと仕事出来るヤツも居たし、
また、お金稼ぎたくなって、寮つきの運送屋さんで働く事にした。

そのへんの流れが、どんな感じだったか、
夢のような、って言うか、夢ばかり見てたからとでも言うか、
どんな感じで進行していったか良く覚えてない(笑)が、
とにかく、店の居候的な生活から、脱出することが出来た。
まあ、店は店で、手伝ったりとかは、しながらという感じだけどね。

やっぱり、自分の自由に出来る「お金」と言うのも欲しかったし、
なかなかスムーズに、イメージどうりには動けない自分
と言うこともあったし、
普通に仕事するのも良いかな、ってなとこだね。

何ヶ月か働いて、(店はしょっちゅう顔出してたけどね・・)
借金もしたけど、部屋を借りた。
(家賃6万5千円ぐらいで、3LDKの良い部屋だったよ)

まあ、店で一緒に働いてたやつを呼んで、
そいつと俺と、・・・
なぜかそいつの彼女と3人暮らし。を始めた。

そいつも行き場のないヤツで(事情ありで・・)
だけど、彼女は居て、仕事は出来るヤツだった。

ちょっと妙な生活だったけど、いろんなヤツが寄ってくるし、
それなりに面白いこともあった。

店はそこから歩いても、そんなに遠くなかったから
よく行ってた。
友達のバンドとか、遠いトコから来てるやつらを泊めたり、
朝までその部屋で飲んだりして、面白かった。

線路沿いで、道路わきみたいな立地だったし、
空は横田の飛行機が飛んでたりしてて、
音なんか、ガンガン出したりしても、苦情も来なかった。

まあ、ただ、いろんなヤツが出入りして目立ってたかも・・(笑)

いかにもバンドマン風から、ヒッピー風から、
ジャンキー風までいたからね(笑)

そして、お店の方は、また新しいヤツが働き出してて、
そいつも面白いヤツだった。

鳥取からシンガーソングライター目指して出てきて、
そこにたどり着いたという、身長180センチ以上あって
元気な20歳のやつだった。

例によって、また住み込みと言うことだった。

最初の出会いは、お互い知らないモンで、ホトンド、喧嘩的だった。
俺が、店に来てた女の子に話しかけてたら、そいつが、
ただ、酔っ払いが絡んでると思ったらしく、「やめろー!」と
襟首つかんできた(身長180センチにつかまれてちょっとびっくり・・笑)

でも、話して、何とかわかってもらえて、それから仲良くなった。

「俺も、ここで住み込みで働いてたんだよ~!」とか言いながら
良く一緒に呑んだな~・・・・。

そいつが金無いのも良く分かるし、音楽の話とかしてると面白いし、
なんとなく息があってて、良く連れ出しては、呑んだり食ったり・・。
一緒に歌ったりギター弾いたりしてた。

けっこうオリジナル曲を持ってて、そいつの曲は俺は好きだったな~。
まあ、俺よりもギターはうまいし、歌も自身持って唄ってた。
一年、東京でやって、ダメだったら、田舎に帰るという
約束を親としてきたらしく、必死なようだった。
俺としても、応援したい気持ちにもあって付き合ってた。

正直、そんな長い期間ではなかったけど、
そいつとはいろんな思い出がある。
よく語り合ったな~・・・。

そいつはビートルズが好きだったんだよね。

  


時代は変わる・・そして、変わらないもの・・・

 ハードロック系のライブハウスと、どっちかと言うとメタル系、
いや、パンク系・・?!
それと、ロックンロール系、ブルース系、いや、
俺には、正直良く分からないが、
違ったイメージのライブハウスが3件あった。

俺が良く行ってたのは、その中でも住んでるとこから近かった店で、
まあどっちかと云うとロックンロール系とでもいうか、
ブルース系といったらいいのか、
そんな店で、作りが入りやすかったとでも言うか、
外から中が覗けたから、といったらいいか、
その店にチョコチョコ寄ってた。

中の様子とか分かりやすかったし、金も無かったから、
外から様子を見てた。

けっこう、似たようなタイプの連中が外に溜まってたりして、
いろんな、やつらとそこで出会えたりしてた。

昨日今日、音楽始めましたとか言うようなのから、
メッチャベテラン風の人まで、外で飲んでたりして、
いろんな絡みが面白かった。

そうそう、目の前が栗畑で、その中に隠れて呑んでたりも出来た。
けっこう、いい感じで、人と知り合えるような感じだった。

そこまで言えば、もう知ってる人はすぐ分かってしまうと思うけど・・・?!
まあ、あえて名前は出さないけど、懐かしい風景だな~・・!

今は、前にマンションが立っちゃって、影に隠れちゃったけど・・・

昔は、16号から曲がって踏み切りを超えて、右側を見ると
栗畑の向こう側に、青空に雲の絵、そしてネオン管がゆだねってて、
その建物の向こうにも空が見えていた。

”あ~、なにかある~”みたいな
”ちょっと、寄ってみようよ”みたいな感じが
好きだった。

まあ、集まってくる連中も当時の俺には、
みんなインパクトあって面白かった。
「こいつら、絶対、まともな生活してないな」的な感じが、
おかしかった。

長髪に、髭、下駄に、バンダナ、ぼろいジーンズにぼろいベスト。
みんな一癖も二癖もあって、いちいち会話がメンドくさかったよな~
(今もそんなヤツは居るとは思うけど・・・?!)

それで居て持ってるものが、おしゃれだったり。
やってることが面白かったり、
いろいろ、専門的なこと言い出したり。
メッチャクチャ、ギターとかうまかったり、
歌がうまかったり、カッコ良かったり、面白いとこだった。
旅の途中の人が尋ねてきたり・・。
働いてるやつも面白いヤツだった。

ある日、ちょっとしたミスで、仕事、やめなきゃならなくなって、
ブラブラしてたら、
その店のオーナーと言うか親父と言うか、その人に、
「ここに来るか?」って言われて、
すぐ「それじゃ、よろしく!」ってな感じで始めてしまった。

「裏に狭いけど、楽屋があるから、そこに寝泊りできるから。」

「おっけー!」ってな感じ(簡単だよね・・?)

まあ、いろいろあったりしたけど、おかげで、いろんな人、
いろんなライブ、いろんなミュージシャンと、知り合うことが出来て、
確かにいろいろ勉強になった。

楽屋はホントに狭くて、バンドが多い時は、大変だったけどね。
おまけにその部屋に二人で寝泊りしてたこともあった。

行き場に困ったやつが、同じようにそこに寝泊りするようになったり、

まあ、そのオヤジは面倒見のいい人だったということで・・!?

三度の飯と、寝床つき、後は、
なにか手伝ってりゃ、いろいろ勉強になるだろう・・?!
ってなとこで、納得しちゃってた。

「そーだ、呼び名、考えないと・・?」

「おまえ、何処の生まれだ、・・?」

「よし、今日から、お前は”カン”だ!」ってことで、
その日から、俺はカンちゃんとなって、いろんな人に紹介された。

そのうち自分でもめんどくさいので、カンと名乗るようになり、
もうすっかり”カンちゃん”になってしまった。

まあ、その店、その街のメンバー絡みと
音楽絡みの仲間には俺は、カンちゃんだ。

店の仕事はホントになにか言われたことだけして、
(それさえ出来てなかったりして・・!?)

後は、カウンターでまた、客と一緒に呑んだり、叫んだり、踊ったり。

ステージのセッティングとか照明とか掃除ぐらいはしてたけどね・・!

でもやっぱり、呑んでるほうが多かった。
一応、店員用のトリス(ウィスキー)を与えられてたりして、

なんか、がばがば飲みながら仕事してた。いま思えば待遇良かったかな・・?
またまた、ベロベロだね!  (金は無いけどね・・?!)

まあ、いろんなものを見て、いろんな人と出会って
いろんなライブも見ていろんなストーリーを見れた時期だった。

出会うもの全てに驚きがあって、
出会うもの全てに刺激を感じた時期だった。

もう、時も流れて、その頃の若者たちは、もう、
いいオヤジになってしまったり、
亡くなった人もいたり(淋しいね・・!)
いろいろ他の方面に、旅立ったりしちゃったりして、
会える機会が無くなって来ちゃってるけど、

年に何度か、音楽がらみのイベントがあって、
そこに行くと、
懐かしい顔に会えたりする。

亡くなった人も含めて、
そこで、みんな再開するような、繋がってる感じが、いいよね!

今は、あまり行く機会も少なくなったその店だけど、
今でも、水曜日あたりに行くと、

”ブルース・ジャムセッション”で盛り上がってるみたいよ!

ぶらっと入ると、スンゲー、ミュージシャンたちが、演奏してる。・・

と言うこともあるから、すごい得した気分になれることもよくあるよ!

そんな、いろんな想いを含めて”ボブ・ディラン”の

”The Times They Are a Changin”をyoutubeから・・


フェンスのある街の16号から、踏切を渡って右の方にある。
今は、栗畑の跡にでっかい建物で見えないけど、
その向こうにある。時代の足跡のイメージ。

時が流れて、変わっていくものもある。

いつまでも変わらないものもあるって感じかな・・・?!

2011年10月3日月曜日

 フェンスのこちらは・・!?(I Can't Get No Satisfaction )

「早く仕事探せよ!」って、そりゃ、そーだよね・・。
丸っきりの居候。・・当然のような顔して、
言いたいこと言ってた。

もっと、こうしよう。とか、
コレじゃダメだとか、
一番ダメなのは、自分なのにね!?

とりあえず、街を歩いて、募集してた、”バーテン”
と言う仕事にあり付いた。
っといっても厨房の中が多かったけどね。

田舎出身の俺には、まるで未知の世界だけど、
今日から、すぐ来て!っと言われたので、
「はいっ」ッテことで、働き出した。

相方は、昼の仕事だし、俺は夜で、互いにぶつからないし、
バンドは、週に何度か、スタジオに入ってやってた。

まあ、何とか、慣れない仕事だけど、してた。
女の子を使ってる店で、当時は結構、流行ってた店だ。
今で言う、キャバクラ的なトコだけど、料理なんかも、
しっかりした物を出してる店だった。

ホントに、右も左も・・・?
って言う状況だったけど、色々、丁寧に教えてくれるチーフが居て、
何とか、働けてた。

まじめに、仕事だけに、集中できればいいものを、
やっぱり、生まれつきと言うか、いつまでも直らない、
俺の性格が、出てしまう。

明日はバンドの練習なんで、休みます。・・とか、
この仕事に関しては、興味ないです。
とか、平気で言ってた。・・・また、それ!・・?(笑)

・・お客さんの前で、そんなこと言うモンジャ無いよね・・まったく・・!

それでも、結構お客には受けてたりして・・ってか
皆に面白がられてただけだけど、そんな中でも続けられてた。
カラオケもその時、いろいろ歌わされたりして、
いろいろ覚えちゃったりした(演歌とかね・・!)。

客に進められて、酒飲んで、酔っ払って、唄って、帰る。
・・ほんとに仕事してんの・・?! ってなぐらいの毎日だった。
でも、店に居る時は、ホントになにも知らないモンで、
言われたことは、酔いながらだけど(笑)やってた。
気をきかすってことは出来なかったけどね。(今でも、そう)

なんとか、収入と言うものを作れるようにはなったんだけど、
ちょっと、金があると、メンバー誘って呑んじゃったり、
いろいろ夜の店を探索したり、
全然、金が残らない。
ちょっと、気の合いそうなやつが居ると、
「一緒に、バンドやろうぜ!・・とりあえず、呑もうぜ!」
ってのが口癖だった。・・夢多き時期だったね。

「バンド」って言う響きに夢を感じてたのかも・・?

当の自分のバンドは、サッパリで、なかなか音がまとまらない。
俺がいろいろ言い過ぎるセイかも知れないが
・・うん、大いにあるな・・・?!

まあ、なんだかんだ、そんな毎日の中で、
すっかりその街に慣れてきちゃって、
毎日、ベロベロってかんじ・・・?!

ライブハウスが、そのせまい街に3件位あって
あっち行ったり、こっち行ったり、
・・そういう意味では、ラッキーな街だった。
外人も多かっし、ロック、とかブルースとか、身近にあった。

でも、そうなってくると、
ますます自分のバンドとか、情けなく思えてきちゃって、
それをメンバーにこぼす。・・うーん、まとまらないよね・・!?

ただ、バンドをやってるってとこで、やっとスタートなわけだからね、
急ぎすぎだとは思うけど、早くステージで、
「俺たちゃ、ナンバー1だぜ!」ってことやりたかったんだよね!

それでも、あーじゃない。こーじゃない。って
メンバーと語るのは、それはそれで、楽しかったよ。

しかし、外人さんも多いしライブハウスも多いし、
英語が飛び交ってるし、
なんか、いいトコ来ちゃったって思ってた。
なにか出来そうな、始まりそうな、
怪しげな感じが、たまらなかったね!・・?

日本人のオジサンたちも、ヒッピー風な感じが多くて、
いろいろ、ものの見方、考え方とか刺激があった街だった。
昼間は、ちょっと淋しい街だったけどね。

俺の中では、その街はやっぱり、ストーンズのイメージが強いね。
日本のローリング・ストーンズみたいなバンドもいたしね・・(笑)

あと、メンバーとよく”オーティス・レディング”の話してた覚えがあるな。

これも、ストーンズ絡みになちゃったけどね・・!? 






Waiting on a Friend・・・・友を待つ・・・

  もっと、世間の事を知ってたなら、
もっと、うまく切り抜ける方法はあったんだろうけど、
なんせ、まったく、その辺はどうでも良い頭だったもんで、
いつも出たとこ勝負で、ドタバタ惨劇だ。

家賃も溜まって、どうしようか・・・?

そうだ、寮とかの有るとこが良い。

寮付だ・・・!?

っていう、単純な発想しか出来ない。

彼女は、さっさと寮付の職場見つけて、出て行ってしまった
(逃げられた・・当然だけど・)
ショウガナイ。とにかく、寮に入って・・・!?

結局、また振り出しだ。
(ほんの、数ヶ月の二子玉生活だった)

なんとか、こんな俺でも働けそうなとこがあって、
部屋も借りてくれる、というとこがあった。(有り難いことだ。)
大田区の蒲田の傍だった。
肩も少し良くなってきて、何とかドラムも叩けるようになった。

その頃、高校時代のバンドのギターのヤツも東京に出てきてて、
また一緒にバンドやろうぜ!って事になって、メンバーを探した。
そして、東京は、西多摩の方に、
面白そうな、ヴォーカルが居るぞって事で、一緒にやる事にした。

しかし、遠い、それに、仕事もしてると、なかなか時間が合わない。
ある日、我慢できなくなって、「仕事やめます。給料要らないです。」って
突然辞めてしまった(バカだね~、この先どうすんだよ!)

まったく、何にも考えてない・・。・・やりたい放題・・。
みんな、いい迷惑だよね・・!

”ほんとにこまったもんさ、この俺は・・”って
そんな詩を書いたことあるけど、ほんとに夢に溺れてるってとこだね。

メンバーも会社も、そりゃ大変だよね。
自分は自分で、大変ではあるけど、自業自得。
金も無いし、宛てもない、
残ってた少しの金も、パチンコで何とかしようと・・(大バカだね・・)
結局、文無し状態。  それで、とりあえず、
メンバーのとこまで歩く事にした。・・・・?!
そう思ったのは五反田だった(距離を把握してない・・・?)

調布あたりで何とか、メンバーに連絡できて、
ギターのヤツに迎えに来てもらった。

「どーしたんだよ!」って言われて、
「仕事やめちゃった。金も無い」ってそのまんまのこと話した。
「なにやってんだよ~まったく」って迷惑そうに(当然だよね)言われた。

とりあえず、そのヴォーカルの家に行って呑むことにした。
”イヤー、俺、金無いけど、よろしく!”って、(まったく、いい気なもんだよね・・?)

傍に米軍基地が有る、線路沿いのアパートだった。
「そうだ、近くにライブハウスがあるから、そこ行って呑もうぜ!」
って事になって、そこに行った。

何やらライブ中だったみたいだが、がら空きだったんで、
座って呑めた。

へ~こんな田舎に、こんな面白いとこあるんだって思いながら
メンバーと夢物語を語りながら呑んでた。

あとから、聞いた話だが、その時やってたバンドは後に
メジャーデビューしたらしい・・・。

ヴォーカルの部屋に戻り、「これからどうするっ」ってことになって、
「この街に住みたいんだけど、ここにしばらく置かして・・・・」っていったら、
「・・・良いよ・・!?」って
って事になって、その街にすむことになった。(良い感じだねっ・・?!) 
何とかなっちゃったよ。(いいやつだよね。ありがとう・・!)

そいつは、まあ、色々音楽は聴いてたけど、
ストーンズの話をよくしてた。


うん、またストーンズだけど”イッツ・オンリー・ロックンロール”

よく聞いてたな。 ”たかが、ロックンロール、されど、ロックンロール”

なんて、ちょっとカッコよくない?!・・・って

ほんと、子供感覚でしかとらえてないよね、まったく。でも、
何歳になっても、何年やってても、
そこからあまり進歩してない自分がいる。
そんなヤツが居るって事も”真実”だ・?ってことだね・・・!?
・・・やっぱり、バカだね~!(笑)

そんなこんなで、その街に住むことになって、
とりあえず、一安心。

一応、イメージの世界に近くなった。
そのヴォーカルの印象は、よかった。描いてた世界だった。
・・・都合良かっただけかも・・!?(笑)

”Waiting on a Friend”という曲がある。ストーンズの曲だ。

”友を待つ”っていう意味なのかな?・・だったらなおさらピッタリだ。

この出会いは、この曲のイメージなんだよね。

この曲も”Tattoo You”
っていうアルバムに入ってるんだけど、

やけに、遠いな~と思って歩いた甲州街道
そして、あのヴォーカルとの出会いを思い出す。

・・今思えば・・・

ほとんど出会ってすぐ、共同生活オッケーなんて
面白いヤツだった。・・・俺もそーかも・・?!(笑)

考え無しの行動も、
ある時、バッチシって事もあるんだね・・!?




Heaven In 二子玉川

 とにかく、”なんとかなる”・・
いつも、そう思えてた。
とりあえず、まとまった金ができるまでは、
ここに居よう。一年もすれば、ボーナスも出る。
それからだな。・・(なんて適当だ・・・)

寮にいた仲間はみんな酒好きで、毎晩の様に
何処か行っては、二日酔いで、仕事だ・・・(だめだコリャ~)

行こうぜ行こうぜって言われると、俺も
断われないんだよね。仕事が大変なのか
付き合いが大変なのか、わかったもんじゃないよ・・。

まあ、とりあえず、一年位して、ボーナスが出た。(やった~)
それで、すぐ、その会社を辞めて寮も出た。次の仕事も決めず。
”なんとか、なるさ!”と思いながら。

世田谷の二子玉川に部屋を借りた。
多摩川の傍の狭いけど、二間あるとこだった。
その時付き合ってた彼女と住み始めた。

・・・・仕事が無い・・・探さないと・・・!
引越しで残った金でギターを買った。
またもや”YAMAHA"のアコースティックギター
・・(何考えてるんだ~俺は~)・・仕事さがせよっ!・・

彼女にはさんざ怒られて、俺は、それでも、”なんとかなるから”って
怒り返してた(笑)・・・バカだね~!

なんとか日払いでもらえるとこで働き出した。
”運送屋さん”だった。

運転も力も自信なかったけど、とにかく仕事だ。
恥ずかしいこといっぱいだったよ。ただ、それでも
気持ちだけは負けず嫌いで、無理して重いのかついで
両肩あがらなくなっちまって、結局辞めた。
箸もコップも持てなくなちゃったんだよね。(これ、マジだよ)
世間知らずの俺は、彼女に頼るばかりで、もう何も出来なかった。

もう、ドラムだとかギターとか言ってらんなくなっちゃって
全部、手放した。・・それで、なんとかしてた。
彼女とは、いつも喧嘩で、その彼女もキツくて
腹に蹴り入れられた事もある。(もう、グシャグシャだよね・・・)

せっかく川の傍の良い場所に住んでんのに、
毎日、重たい日が続いた。部屋もどんどん淋しくなってきて、
スカスカ。(物がなくなっていく・・)も~う、笑うしかないよね。ha・・・ha・

それでも、肩さえ直れば”なんとかなるから”って、
思えてたし、言い続けてた。

で、バンドのほうも、ドラムが叩けない状態だったんで抜けた。
直ったら、またはじめようって事にした。

その時、良く聞いてたのが、"Rolling Stones"の

”Tattoo You”っていうアルバムだ。

特に、その中に入ってる”Heaven”って曲。
これ聞くと、あの二子玉川の夕暮れを思い出すんだよね。
とにかく、何とかなりそうに、思えちゃうんだよ。


ちょっと、赤み掛かった空に、雲が少しまばらで、
明るくはないけど、暗くもなく、赤い照り返しの中に

夢が見えてたのかも・・・・・・。

YAMAHA YD7000

   田園調布の寿司弁当をうってる店に入った。

「よろしくお願いします。」…「で、出身は何処?」…
「はい、新潟から音楽やりたくて、
東京方面に鉛筆転がしたら、この会社にたどり着いたんですよ。
よろしくお願いします。」………?

そりゃ、黙っちゃうよね。…新潟の恥さらしだよね、全く(笑)

しばらくして、店長が
「お前には、俺の仕事を教える。この会社の仕事は必要に応じて教えるけど、
お前がそんな気持ちなら、ここを辞めても通用するように教えるからな!」
といわれ、それから人生修業が始まった。

その店長は、腕の良い職人さんで、
どこかから引き抜かれて、この会社に入ったらしい。
確かに他の店に応援に行った時、その店長の仕事ぶりと比べると、
本当に格が違うというか、きちんとした仕事ぶりだった。
本当に職人と言う言葉が似合う人だった。
でいて冗談好きで、酒好きで、すごく親しみ易く、
和食、寿司、割烹などの世界の話しをいろいろしてくれた。

どの世界にも共通する事がある。ということだ。
どちらかと言うと、生き方的な意味だと、思っている。(違ったりして…?)




まぁいろいろ良くして貰いました。
ありがとうございます。
また何処かで会いたいと思ってます。お元気で。
店長へ・・・




寮生活だった。
二人部屋だった。
最初の給料貰ってすぐ楽器やに行って
ドラムセットを買った(まぁローンだけどね!)
50万ぐらいするヤツを買った。

YAMAHA YD7000シリーズ

カッコイイぜ〜!
シルキィパープルのメタリックに輝く、ジャズっぽい、音の切れの良いヤツ。
見てるだけで楽しくなってしまう。
当然、部屋にセットして休みの日に、相方がいない時叩いてた。
残念ながら音はミュートしながらだけどね。(それでも、やっぱり迷惑だよね!)
一応みんな公認的な感じだったんだけど、
ある日、いないと思ってた隣の部屋に、気の短い先輩が、それも風邪ひいて寝てて
ドラムを叩きだしたら、部屋に入って来てイキナリその先輩に殴られた事があった。
パンチ強かったよ。
その時唇を切って、しばらく飯を食うのもツラカッた。
その傷は今も少し残ってる。

早く寮を出なきゃと思った。(ドラムだと何処でもいっしょだけどね…)
まぁ、その先輩とはお互い謝って問題なくそれからも付き合ってたけどね。
あまり常識も知らないまま(今でもそうだけど…)人と生活するって大変だよね!
とりあえずの場所が寮だった訳で、
そこから、スタジオとか行って帰って来ると門が閉まってて入れなかったり・・・・
仕事なんかまともにできる訳ないよね!

おとなしくしてる事も出来ず、動ける程の金も知識もないまま、
夢に酔い潰れた毎日だった。

あのシルキィパープルの輝きの世界は本当にしびれたね!

タンブリング・ダイス


高校も終わりの時、進路を早く決めなけりゃならない様な時、
ノホホンとブラスバンド部に遊びに行っては、後輩たちと遊んでた。
そこだけが、学校の中で一番リラックス出来る場所だった。
皆、面白いやつらばっかりだったよ。

それまで、恋話とか、なかったわけじゃ無いけど、音楽室の前で、
女の子と、何を話していいか、分からなく、ずっと
廊下の壁にもたれて黙ったまま向き合ってたことがある。
とにかく、ロックだのフォークだのドラムだの、そんな事を言わせると
ムキニなって話せたけど、女の子を前にすると、
話題がない。・・と言うよりも、男兄弟の中で育ったモンで、
付き合い方を知らない。ギコチなさ過ぎで妙な感じだ。
意識し過ぎるのか、全然だめだった。それは今もソウかも・・・。

何か夢中になると、周りが見えなくなってしまう。
ずっと、それで来た感じだ。
とにかく、東京に行く。それしか考えてなく、その後の事は何とかなる。
そんな感じで、意切り込んでて、カッコつけてた。(笑)・・・

周りから、「どうするんだ」って言われて、どうしたかと言うと・・

就職情報のファイル(東京編)の上に鉛筆を投げて、示した所に、決めてしまった。
・・・(まったくナメてるよね!)
どんな仕事がしたいなんて無かったし、イキナリ音楽で仕事なんてありえないと思ってるし、
当然、周りの見えてない俺は、ただ、

・・東京まで行けば人も多いし、こんな俺と話が合うやつも、きっと居るし、
毎日バンド合宿みたいな生活が出来る。・・・と思ってた。
それで、あまり考えず、夢の中だ。

まあ、カッコ良く言えば、”タンブリング・ダイス”
サイコロを転がした訳だ。
それから、ずっと、サイコロが転がりっぱなしで、なかなか目が決まらないない人生が(笑)
始まったわけだ。
ダイスの目が出ず、チューニングも終わらない。
何てこった・・。そんなつもりは無いが、もう、納得いくまで
チューニングしてやる!転がり続けてやるぞっ!・・(笑)なんてね・・。

”ローリング・ストーンズ”の曲に「タンブリング・ダイス」ってのがある。
その曲を聴くと、いつもそんな事を思い出してしまう。
その曲のイメージとは違うかも知れないが、俺にはかなり印象深い曲だ。
良く頭の中に流れてくる。カッコいい曲だ・ぜっ!

東京に出てきてからは、なかなかイメージ通りには、行かないものの、
面白いことが、いっぱいあった。
まあ、バカなことばかりだったけどね。
田舎から出てきてホントにキョロキョロしながら、何処に居るのかも分からないまま
人の波に押されて、ころころコロコロ、転がってゆく・・・
そして見えているのは、光の果てあたりの遠い夢・・
そして、今はもうそれも、

”通り過ぎた夢の出来事!”・・さっ!


イースト・ウェスト

”イースト・ウェスト”と言うコンテストがあった。
もう30年ぐらい前の話だ。
当時、高三だった俺たちバンド名”ザッパ”は、そのコンテストに出場した。
といっても、地区予選だったけど、かなり俺は意気込んでた。
昔から、なにかトコトンやらないと気がすまない俺は、メンバーに
「今日学校行かないで、トコトン練習しようぜっ!」って平気で口説いてた。(なんてやつだ・・・)
ところが、やっぱり、みんなは俺と違って優秀な奴らだったので、当然
「俺たちは学生なんだから、ちゃんと学校に行って、その後にしようよ!」
って、当たり前の事を口を揃えて言われて、悶々としてた。(バカだよね。そういうところが・・)
俺は一人で学校に行かず、一人だけで、いつもどおりにドラムで発散してた。
「よし。そうしようぜっ!」っていう世界をやりたかったんだけど、無理だった。・・

村の公民館を借りて練習した。
音は外に丸聞こえ。防音もしてないし、PAも無い。
まず、機材を揃えるところから始まった。
運よく、そんな田舎にも音楽好きの先輩がいて、借りることが出来た。
フォークバンドとか、”キャロル”をやってるバンドとかがいたのだ。
あまり演奏する場所とか、機会がないし、バンドが出るようなイベントとかが、
少なかったんだと思うけど、知らなかった。近所では知られてるようだったが、
もっとアピールできるような環境があったらな・・と思った。

とにかく俺たちはコンテストに向けて練習だ。
カバー曲.一曲とオリジナル.一曲ということだったので、
サンタナの”哀愁のヨーロッパ”と。あわてて作ったオリジナル曲をやった。

コンテスト当日。
まず、出演者みんながファッションが決まってることに驚いた。
いかにも”バンドですっ!”って感じのが多くて、気持ち負けしてしまった。(笑)
おまけにリハーサルで、マイクがいっぱいだし、音は、公民館とは大違い。(当然・・。)

” こりゃ~やるだけやったら、さっさと帰ろうぜっ” って話してたきがする。・・・
まあ、あまりそんなにキチンと音をとったことも無かったし、音響にやられてしまった感じだ。
本番は、まあいつもどおり、まあ特別間違えることも無く出来たんだけど。
間違えないようにするのだけで精一杯で、特別アピール出来る物も無いし、
みんなやっぱり空気に圧倒されてて、ホントに終わった後発表も待たずに
逃げるように帰ってきた。やることはやった。
見に来てくれた人達にはもうしわけない。・・・(気合負けしちゃったね。)
いい経験になりました。その時の出場バンドさえ覚えてないけどね。・・・
でも、ちょっと悔しい思いを抱いて帰った事を覚えてる。
もっと、もっと、トコトンやらないとダメだと思った。

とにかく、うちの村では殆ど見れないようなファッション、そして髪型。
機材も、見た感じ、立派なのを使ってたきがする。
大事なのは、そういうことじゃないかもしれないが、当時は、
身近にそんな環境が無かったので、  ”え~、マジかよ、こいつらっ” て感じだった。

もっと世界を広げないとねっ!

公民館で練習してた時に録音したテープが出てきたので、聞いてみた。

う~ん、 哀愁のヨーロッパ”・・・ 今思えば、なかなか良いんじゃない(笑)

~~・・・。懐かしい・・・。
かなりグシャグシャになってたけど、かろうじて聞けた。


音が小さいな~。

マメタン50

 とにかく、まわりの景色は山、また山。
川もそんなに大きな川でなく、ほとんど、沢と言うほうが解りやすいと思う。
バスも本数は少なく。一日4本ぐらいで、バス停まで4、5キロ歩きだった。
冬場は雪が降ると通えないので、寮に入ったり下宿だったり。
16歳になって原付免許をとってからはバイク通学をしていた。
”マメタン50”っていう50CCのバイクをいろいろ手を加えたりして乗ってた。

どちらかと言うと、不良学生のほうだった。
あまり ”仲間とつるんで・・・” ということはなかったが。
良く、一人でバイクでブラブラしてた。
家の仕事を手伝ってればいいのに、なにか理由をつけては、出かけてた。
いつも、では無いけどね・・。
友達が、皆でどこか行こう、とかいう話しがあっても、
家のことが気になって参加もしなかった。といっても、
あまり誘いも無かったけどね。中途半端な感じだった。
なんか、人とつるんでワイワイやるタイプではなかった。
なにか、一人で、あてもなくバイクでブラブラしてるか、ドラムたたいてるか、
ギター弾いてるか、ってなことが殆どだった。
学校の成績は最悪の状態。 まァ、それでも語れる友達はいたけどね。

良くバイクで山道を走りながら、大声で歌ってた。
その瞬間だけのオリジナル曲を・・・(デタラメだけどね・・)
適当な言葉を並べてメロディー加えてバンドのイメージしながら・・・
今のフレーズいいな~とかおもいながら。
書き留めてないから、時がたつと忘れたりするんだけどね(笑)
そんなことにハマッテタ。

冬場は、寮に空きがないと、下宿になってしまう。
あまり人と和気あいあいが苦手な俺としては、そのほうが良かったけどね。

下宿が学校に近かったので、ちょこちょこ帰っては、気の合うやつらとダベッテタ。
ロクデモないところを下宿の人に丸出し(親が悲しむよね・・まったく)
音楽ガンガン聴いてたし・・・
でも、心の広い人で。頑張れよ、ぐらいの事を言ってくれてたきがする。
いろいろ迷惑掛けました。本当におせわに成りました。ありがとうございます。
もうずいぶん昔の話なんだけどね・・。

家が近いと何故か、友達とも一緒に居ることも多くなってきて、いろいろ語り合えた。
そんなものかも知れない。親しいヤツ限定だけどね。(当然・・)
将来の話とかしてると、「お前は決まってていいな。」とかよく言われた。
おれ自身、なんとなく音楽以外のことって考えれなかっただけなんだけどね。
東京に行ってバンド組みたいって、漠然と思ってただけだし、具体的なものは何もなかった。
いわば、全然、真剣には考えてなく”思い”だけの話。
とりあえず、東京に行くってことだけだ。

友達は、真剣に考えてて現実的なことを言ってた気がする。
そんな友達に「お前はいいな~」って言われてたなんて今思うと笑える。
まあ今でも俺はそのまんまだけどね。そいつらはもう立派な大人やってるし。

山の中で育って町に出て、何処に行ったら良いのか分からなくなって、あの時のまま、
迷子になってる気がする。

自分の居場所に困ってマメタンにまたがっていろんな夢物語を思い。
たどりついた所で、慌てて帰り道を探して、夜も更け、星の光にまた、夢を見てる。

”オリオン座の空の下で・・”と言う詩は、そんな詩かも・・(自分の詩なんだけどね・・)
なんでも、イメージだけで動いてしまって、今になって気がついて、
まだまだ、これからの、”詩の歌えぬ歌唄い” です。

車もあまり通らない信号の無い道を風を受けながらバイクで走るって気持ち良いよね。