2012年1月27日金曜日

そんな、こんなで、飲んだくれ!?

・・・・ってな流れで千歳船橋に2年ぐらいは居たかもしれない。


 その友達は、まだ学生で、年で言えば二つぐらい下だった。
でも、何故か、息が合うと言うか何と言うか、良く呑んだものだ。

 
 
 ソイツは「ビーチ・ボーイズ」が好きで、良く聞いた。

アパートのすぐ近くに小さなお好み焼き屋が有って、
 
  そこで呑んだり俺の部屋で呑んだり、奴は下宿で狭い部屋だったが、
      そこで呑んだり、とにかく良くのんだ。

 音楽の話、人生の話、生き方だの女だの、、、

 働いた金はホトンド呑み代ってな感じだ。

 部屋を借りた時の金は、その学生に借りた(なんて、情けない・・・)

  しかし、ソイツは何故か俺のこと好いてくれていて、
良く付き合ってくれた。

 もう一人の友達は、音楽や流行、そしてアートなど詳しくて、
いろんな情報を教えてくれた。

 三人で良く呑んだ。ソイツは酔うとパフォーマンスが激しく、
近くにある農大生のレスリング部の奴と喧嘩になって、
      大変な思いもした事は有るが、
面白い奴だった。・・・しかし、今は亡き人となってしまったが、
       ・・・     楽しい思い出だ。

 音楽やアート、そしてパフォーマンスの話はよくしてたが、
それらしい事は何もしてなかった当時、かなりその二人には影響された。

          俺も何かやろう!

 正直。近くには下北沢や吉祥寺というカッコウのスポットがある。
しかし、人混みは、好かない。しかし、やってみた。

 ギターをもって、下手くそな唄を思いきってやった。
でも、・・・ドキドキしながら・・
   そりゃ~、情けないものだった。(はずかし~っ!)


 まあ、なにもしないで居るよりはマシか・・
          そう言い聞かせながらやってた。

 通り過ぎる人がほとんどだが、当時知り合った人はそれなりに居る。
(今は、ホトンド付き合いはないが・・・・)

 とにかく、金が入れば呑みに行く。いつものメンバーで・・
           それが、お決りだった。

 いつも行くお好み焼き屋さんは、学生さんが多かったが
芸能関係の人も良く来てたみたいで、なんか面白かった。
 
 当時「FM富士」の番組を持ってる人も来てた。
失礼な事に名前は良く覚えてないが、シンガーソング・ライターの人だ。
                         御免なさい。」

 そこのお母さんに俺は「ガチャガチャさん」と呼ばれてた。
今も、元気で居るだろうか・・・?!

 ほんの2年ぐらいの間だったが、千歳船橋には、思い出がいっぱいある。

 その友達、お店、知り合った人たち。いつかまた会いたいです。

    そういえば、いつだったか行った時、
お好み焼き屋さんのお母さんと写真を撮らせてもらいました。
                     懐かしいです。

                其の当時を思い出します。

 家賃も貯めたまま、払えずどうしようか
    (家賃1万5千円を3ヶ月ぐらい)、悩んでたら
運良く、前に働いてた運送屋さんが忙しいから来てくれと言われ
家賃と引越し代も出してくれると言うので、
     荷物も少ないし簡単に又、青梅に戻った。
 本当にラッキー!

 こんなこともあるんだと、つくづく思った。感謝、感謝。
この会社に勤め続けよう!・・・と思った。
 
 しかしそれも、1・2年ぐらいで其の会社は、
その後、倒産してしまって、またまた、
  「糸のきれた凧」状態になってしまった。・・・

 その」時はバンドを組んでたので、スタジオ代とか、苦労した。
いろんなバイトしながらなんとかしてた。

   ・・・いや、スタジオ代と言うより呑み代か(笑)・・・・・・!?
                 
 と云うわけでご機嫌にビーチボーイズでも・・・・・・・・・・・!!                     

2012年1月14日土曜日

風に吹かれて・旅立ち

「これ以上、お前の世話になる訳にはいかない・・・・
 
   俺は旅に出る。帰ったときまた会おう・・・・・」


  と言った内容の置手紙を残して、奴は出て行った。

 
 ソイツの作る歌は好きだった。しかし、
  やっぱり一緒に生活してると、いろんな問題が出てくる。

  些細なことだったり、女がらみだったり、生活習慣だったり、

 今思えばつまらん事で、ケンカしたこともあった。

  良い詩を書く奴だったから、手紙の内容もドラマチックな内容で、

 少し涙ぐんだりしたりした(笑)。

  とにかく、一旅してまた一回り成長して(身長じゃないよ・・・)
 帰ってくるのを楽しみにしてた。

 そして、俺も、一人暮らしの3LDK生活は厳しいのもあったし、
 俺も、何か始めようと、少し都心に近い所に引っ越した。

 仕事は青梅に通ってたけど、
    府中の分倍河原と言うとこに引越しした。

 都心に行くにも、アメリカに近い町に行くにも
         丁度良い感じかなと思ったからだ。

  まあ、その辺りから自分でもLIVEHOUSEとか、
 出演するようになった。


  しかし、

 本当にソイツほどギターもうまくないし、

        歌も自信ない。

 そんな時、年は、一回り位上の大先輩が、

 「うまくなってから、ライブやろうとか考えてたら
    いつまで経っても出来ないぞ、
   やりながら、うまくなって行くんだ・・・」

 と言われ、その言葉は今でも残ってる。

    しかしその先輩は昨年亡くなってしまった。
  昔、カルメン・マキさんと一緒にやってた事のある、
  
 室井良友(G.Vo)さん(ヨーさん)である。
 
   ロッカーが一人いなくなった。淋しい話です。

  そのヨーさんに励まされ、マズは一人、そしてバンド
   と言うところまでなってきた。
  とにかく、そのころは当然若かったし、勢いでいけた。

 仕事も休み無し、唄も必死に頑張ってた。
 
  
 しかし、金の使い方がへたくそで、いろいろ大変だった。
 
  住む場所もあっち行ったりこっち行ったり、
  
 仕事も、あれやったり、これやったりで、メチャクチャ。

 だけど、ライブだけはやっていた。

  もともと不器用な俺は、ほとんど惰性でやってたようなもんだった(笑)。

 
 なかなか旅立って行った奴のようにうまく出来ない。
  恥ずかしいライブが続いた。(今、思い出すだけでも恥ずかしい)
  
 しかし、とにかく、やってた。(とりあえず、奴をこえてやるってな感じで・・・)

 
 今は、其のバンドもバラバラになってしまったが、

  ヨーさんの言葉が無ければそんな経験もできなかった。

       「ヨーさん、ありがとう!」


 そんなこんなで、そのときは、世田谷は千歳船橋に住んでいた。

  四畳半一間、トイレ共同、風呂無し。

  しかし、そこも、けっこう快適だった。
 旅立った奴の置き土産。友達のおかげだった。

  本当にみんな有難う。楽しかったよ。

 相変わらず集まれば音楽の話で盛り上がってた。
  そして、相変わらず、酒あおってた(笑)

  でも、其の中のメンバーの一人は、もう何年か前に死んでしまった。

  何年も経ってから知った。

 人間って本当に、明日はどうなってるか分からないものだと思った。

 なかなか思った様に行かない。今を大事にして行くしかないんだな・・・?!

 そんなこんなで、風に吹かれっぱなしの俺です。

  ああ、運良く今日も生きれた、合掌!!

 そんなわけでボブ・ディランの「風に吹かれて・・・」