2009年7月1日水曜日

ドラマー

「バンドやろうぜっ!」って、良く聞く言葉だよね!
 そんな言葉で始まったバンド ”ザッパ”。
俺は当然Vocal・・・? いや、それが違うんだなこれが  ”ドラム”
 
これは高1の時の話だ。
 
 もう一人、友達に歌好きが居て、(まァ皆、歌は好きだとおもうけど、、?!)
「おれ、vocalやりたいっ」って云われちゃって、(言いだしっぺは俺だった)
  うーん、・・・・わかった・・・。
っていうことになってしまった。まァやつも美味かったからね(歌が・・・だよ)
 
 俺は中一の時、ちょっとした事故で、前歯三本無くなってたし、(入れ歯だった)
ミニコンサートで前歯が客のまえに飛んでしまって、大ショックだったこともあって、
ヤツをくどいてまで、やろうとは思わなかった。
 言いだしっぺの俺としては、最終的に、みんなに人気の無い”ドラム”ってことにした。
まず、ドラム叩くやつがあまり居なかったからね!!(正解だったと思う。)
 バンドやるならドラムは居ないとね。やっぱり。

それからは、”ドラマー”としてやってた。

 ドラムが手に入るまでは、本とか、枕だの座布団だの並べて練習してた。
教えてくれる人は傍に居なかったので、それも大体、自己流。
” ジェフ・ベック”とか”サンタナ”とか、ギターのヤツが持ってきてくれて
それに合わせて練習してた。(って言ってもデタラメだけどね。)
 夏休みにアルバイトしてドラムセットを買った。
その時期”ギター”のヤツが、東京でバイトして、日当5千円ぐらいだとかいってたけど(GS、バイト)
俺は地元で、学校の建築工事で、日当3500円ぐらいでやってたきがする。
そんなものなのか?、とか思いながらやってた。
 とりあえず、ドラムセットが買えた。全部つぎこんで10万円ぐらいやつがバーゲンで安く売ってたので、
それを買った。
  しかし・・・
それを 、どうやって、自分のとこまで運んで行ったらいいのか思いつかず、
後で取りに来ますって言って、とりあえずは帰った。
実家から、楽器やまでは遠い。
原チャリに乗って、何時間かかけてやっとドラムが買えたのに、運ぶことまで
考えてない。と言う間抜けさ。(・・それは今もだけど・・なおらない。)

 それで思いついたのが、 ”リヤカー”
たまたま貸してくれるという人が居て、いいアイディアだと思い。そうした。

原チャリの後ろにリヤカーを引っ張って、新潟市内の街の方まで出かけていった。
ちょっと恥ずかしかったけど、連れがいたので、助かった。(幼なじみのおもしろいヤツが・・)
 それで、数十キロの道のりをリヤカーにドラムを乗せて山まで帰った。
すごい距離感と、空気の違いをかんじた。
  田舎には、あまり見慣れないドラムセットというものが入ってきたのだ。
みんな大騒ぎ。・・・俺も大騒ぎ・・・。
 まあ、正直、学校がつまらなくなって来て、どんどん自分が不良化してきたころだった。
あまり、学校には行かず、昼真っから、部屋で思いっきりドラム叩いてた。
 ドラムのせいじゃない。学校がつまらなかっただけだ。
よく、先輩とかに呼ばれてつまらないこと言われたり、
同級生ともいまいち溶け込めなかった。
 えらそうな顔してたのかも知れないけど、(たしかに生意気ではあったと思う)
で、今度は、 ”ロック同好会” 成るものをつくり、同好会会長とか言う立場になってしまった。
 ただ音をガンガン出してるだけの仲間内だけの同好会。
会員は少なかった。当然”ウェルカム”な雰囲気はない同好会。
ただ学校の一室を借りて出来たので良かった。
 
ジェフ・ベック  クリーム  サンタナ  とかやってた。
ちょっと皆の知ってそうなのもやってたけどね。(歌謡曲etc・・・)
 
 そのうち” ブラスバンド部”から声がかかって、そっちもやってた。
ちょっと学校が楽しくなってきた。(そのためだけに行ってた感じ・・)

 いろんな演奏会とか、文化祭とかでやった。楽しかったよ。
地元の学校、何校か集まって合同演奏とかやったりして、
世界が広がっていた。出会いがあったりして、よかったよ!
 その時、やっぱり街にあこがれちゃったね。(村の人間としてはね・・。)
環境によってやっぱり”レベル”の違いがでてくるのは、しょうがないことだね。
それがいいとかダメとかは、何ともいえないけど、やっぱ尺が変わるという意味でだよ。

 体育祭の行進の”ドラムロール”もやったけど、いまいちだったね(笑)みんなつまづいてた・・。
  
 ツッパリ連中とは仲良くなかったけど、ある日。
”キャロル”(矢沢永吉のバンド)のカバーバンドのドラムが停学中で、変わりにやったことがある。
 それからは、なんだかあまり、にらみ合いみたいなのがなくなった。
 うん、音楽はいいもんだ・・。なんて仮にも思ったことがある。そうでありたい。

ひとの迷惑省みずドラムに明け暮れた日々でした。でもあのリヤカーは、
  なぜかカッコイイと思う。 我ながら、夢の出来事のように思える。







 

2009年6月26日金曜日

フォークシンガー

兄貴がガットギターを持ってた。
だけど、あまり弾いてたと云う記憶が無い。中一ぐらいの時かな?!
興味を持って兄貴に隠れてこっそり練習してた。
ばれないようにしてたつもりだけど、ある日
”F”と言うコードが綺麗な音が出なくて、腹が立って、蹴りを入れてしまって・・・
  当然ばればれ。
まぁ、なんとか許してもらったのかどうしたのか、よく覚えてないが、
折れたネックに釘を打って、なんとか弾いてた覚えがある。
   ・・ とりあえず続けてた・・
なんせ田舎なもんで、歌謡曲以外の情報はなかなか入ってこないので、
”平凡”とか ”明星” とか言う雑誌の付録のコードブック見ながらやってた。
そして中学に入って町に初めて買い物に行った時。(町に出るのは一苦労なんです。)
初めてレコード屋さんに友達と入って、びっくり。
知らない歌手とかのレコードがいっぱいある。(当然だけど)
みんな秀樹だとか桜田淳子とか買ってたけど、俺は、
みんなが知ってるようなのは、なんかつまんなくて、
ジャケットのカッコイイのにしようと思い、
決めたのが、”吉田拓郎「元気です」”というアルバムだ。
どんな人なのか全然知らなかったんだけど、「へ~、お前えら知らないんだ~」
とかいって、自分も知らないのに自慢してた。
 まぁ、聞いてみたら、これがまた良くてトコトン聞き倒したね。
はったりも正解だった・・。(俺にとってはね。・)
それからは、フォークシンガーもいいなと思い、いろいろ覚えた。
 だけど、難しいコードのある曲は、ごまかしてやってた(ヘヘっ・・)
俺は歌がメインだから”唄えればいい”と云うところをやってた。
”同好会”とか作って友達と競い合ってた。・(・俺が一番だ~)ってな調子だ。
人に聞いて欲しくてしかたなかったんだ。
”フォークギター”っぽいものを、なんとか安くてに入れたしね。
            ・・・釘つきのガットギターじゃないよ(笑)・・
拓郎と井上陽水が殆どだったね。
今もよく唄ってる。
そのころ覚えた歌って・・っていうか、拓郎、陽水の歌って、なんか
意味深な詩が多かった。
かなり影響受けちゃったね。男とは、人生は、とか、
アノ年代にはたまんなかったんだろうね。
考えさせられる内容が多かった。
 それから、ボブディラン とか知ったりして、
う~ん、・・かっこいいねっ。

まぁ、いまだにその頃と同じ程度の歌しか唄えないけど。
ギター一本で大勢の人を感動させるなんて、いいよね。
目立たず、隠れず、やってゆきたいね。
  ”ハートはあるぞ~~っ”・・ってか。・・・。
・もういい加減やめちゃおう・・とか思ったこともあったりしたけど、
やめる、 とか云う物じゃないよね。・・やっぱり、これは!一生モンだと思う。

2009年6月25日木曜日

レコードプレイヤー

ここずっと子供の時の話ばかりなんだけど、、、
最近物忘れが激しくて(笑)・・。
まあ、自分は”ナンボノモンジャ”ってなとこだよね。
孫がいてもオカシクナイ年になって、まだ嫁さんも子供もいない。
どうしようもないね、まったく。・・
俺の父親は、俺が小4の時アノ世にいっちまった。
出稼ぎで殆ど家に居なく、農作業の忙しい時期と年末年始に帰ってきて、
ちょっと一緒に遊んだり勉強教えてもらったりした記憶と
怒られたってのと、そのぐらいの思い出かな・・。
そうそう、ほしい本とかオモチャとか、仕事先から送ってきてくれたりしてた。
そして最後のプレゼントとなったのが”レコードプレイヤー”
 最初は、兄弟で話し合って何か欲しいもの一つ・・と言う事だったと思う。
だけど、兄貴はラジカセ 俺はレコードプレイヤー 弟は黙ったまま。。・・・
結局まとまらず、両方ということになった。
ただ、その時の二人の話を思い出すと面白い。
 
レコードプレイヤー は、レコードを買わないと聞けない。

ラジカセは、テープにたくさん録音できるしラジオも聞ける。

  うん、なるほど、だけど俺はレコードが聞きたい。

  とにかく、レコードが聞きたいんだ~・・。ってな感じ・・。

まぁ結局両方でよかったけど。
 
当時、歌手に成りたかった俺はとことん、レコード擦り切れるぐらい何度も、
合わせて歌ってた。西城秀樹の歌を・・ロ~オ~ラ~~ってね。
  ・・ でいて、臆病で”スター誕生”は応募できないままだったけど。・・
まあ無駄にはしなかったよ。プレイヤーは。とにかく聞いた。
ただ小学生は町に買い物に行くなんて出来ない状態だったので(交通の便が悪く・・)
誰かが町に行くときに頼み込んでレコードを買ってきてもらうんだけど、

タレントのこと知らない人だったりすると、全然違うの買ってきたりして、
 でも文句は言えません。 どうもありがとうございました。

ポータブルレコードプレイヤーからちょっと進化した形のステレオ型のヤツでした。
外側が赤、内側が黒、そして黒の半透明のカバーがあって丸いスピーカーがそれを挟む様に
ついてた。ちょっとかっこいいヤツでした。
高校を卒業するまで、そいつでいっぱいいろんな音楽と出会った。
レコードは人から借りることがおおかったけどね、、。
そう、今日 六月二十五日 
      俺の誕生日なんだよね。
あまり特別な日だとは思ったこと無いけど、
こんな話してると、ちょっと特別におもった方がいいかな?・・なんて、
思ったりしてる。
  
  ”ちょとは自覚しなさい”  って

誰かに言われた覚えがあるな~。そういえば・・・。?

2009年6月18日木曜日

蓄音機

そういいえば、俺の実家には”蓄音機”(若い人はわからないかも知れないが・・)
があった。
なにしろお爺チャンが、それが好きで良く聞いていた。
レコード盤もけっこうあって、俺もよくいじってた。
自分でネジを巻きながら聞いてないと回転数が変化して妙な感じだ。
だけど、それが楽しかった。・・で、爺ちゃんも又よく歌ってた。
太鼓なんか叩いたりしながら・・・
そして庭に御座しいて、そこで歌ったり太鼓叩いたり、。
昼の日差しを浴びながらね!・・気持ちよかったね。
爺ちゃんの歌は民謡が多かった。  
        
  会津磐梯山は~たか~ら~の~や~ま~よ~~・・

ってなのとか、

   つ~きが~~で~た~で~た~つっきが~ぁっでた~~

てのとか・・・・。

一緒に唄ってた。  

まだ小さい頃だった。
    それが、いまの俺の原点かも知れない・・・・。
山の中のちいさな集落に家が12.3件。
山のあいまに隠れ住むように暮らしてた。そんなイメージだ。
村の中でも田舎だっていわれるような所だ。
だけど、音楽はあった。
・・・・・爺ちゃんだ・・・まあテレビやラジオでは聞けたけどね。
LIVEだよ。
そうそう、ラジオも今のエアコンサイズの壁掛け式だったな。
テレビもまだ白黒テレビだった。
世の中いろいろ変わりかけてる頃だと思う。
カラーテレビが出来たり、カセットレコーダーはやったり。・・
いろんな事件もあった気がする・・(それは今もそうだけど・・)
とにかく音楽は爺ちゃん発信で集落の中ではハイカラな家だったと思う(笑)
それからテレビの主題歌だの歌謡曲だのいろいろ覚えてきた。
数少ないチャンネルのなかからね。・・・
   そのうち歌手になりたいとか思い始めて、ほんとに、
”思い”だけで今まで来ちゃった感じだよ。
いつからか、こまかい事にこだわり始めて
いつからか、何を唄えばいいのかわからなくなっちまて、・・
  早くチューニングし直さないと何処にたどり着くのか・・・?
だけど、やっぱり歌唄いの絵しか浮かばない。
”詩”はウタと読んでほしいんだけど、大丈夫かな・・?
詩の唄えぬ歌唄いのままでは終わりたくないね!
  ネジが切れた蓄音機はちょっと聞いてらんないよ~
     誰かネジ巻いて~!~・・・(笑い)

   

2009年6月16日火曜日

ソプラノ笛

小学生の頃、誰もが出会うであろうソプラノのたて笛。・・たぶん・・・
その笛が大好きで、いつも放さず、まるで笛吹き童子のように持ち歩いてた。
育った所は、山奥のど田舎で辺りは山ばかり。
そんな山道を何時も笛をふきながら歩いていた。
  とにかく好きだった。
いろんな曲を自分なりに音を探しながら吹いていた。
そんなつもりはなかったが、学校ではなぜか先生に評価され
全校生徒のまえで(・・とはいっても60人程度ですが・・)お手本にされたこともある。(・・何の・・?)
思い出した・・
それが中学に入ってアルト笛に変わった。(教材として)
・・それが、あまり楽しくなかったのか笛から遠ざかっていった。
それからは、ギターとかドラムとか歌とか(かっこいいもんね・・)がメインになっていった。
ちょっとイキがってた。
まあ歌は、ほんとに小さい頃から大好きでいいんだけど、
あとは、やっぱりカッコつけたかったのかも・・・・思春期・・だもんね・・・
・・・しかしあのソプラノ笛の少年は今どうしてるだろう・・?
ソプラノ笛をふきながら緑の山の中を歩いていた、あの少年・・(俺だけど・・)
歌の唄えぬ歌唄いは、その少年に教わりたいことがたくさんある。
いま俺の前であの笛を聞かせてほしい。
   なにか思い出させてほしい。
最近、何か忘れてるようなきがして仕方ない。
  ふと、大事なものを思い出す、大切なことを思い出す。
そんな歌が唄えたらと思っている、歌の唄えぬ歌唄いです。
   人は忘れなきゃやってられないこともある。
   忘れちゃならないものを忘れるときもある

2009年6月13日土曜日

チューニング

いつまでやってんの・・・!?
早くやってよ・・!   
・・うん、よくそんな事を言われた。
そんな事言われると、あわてちゃって、ますます出来なくなってしまう。
それで、しょうがないな~・・と言いながら、グシャグシャな音で演奏してしまって
最低の歌を唄い、落ち込んでしばらく立ち直れなくなる。
まだまだ全然出来てない・・うん、修行が足らん・・・・。
他に何か出来るわけじゃない。
    そんな事も出来ないでどうする・・。しかし
それは、俺にとって一生の課題となりそうだ。
  自分の問題・・・?
    楽器・・・?
まぁ、それで”詩の唄えぬ歌唄い”と言うことを思いついたんですが・・。
いつまで続くか、このチューニング。
まずは、ハートのチューニングかな!
どうすれば・・・・・・・・・・・?・?
・・・・・修行が・・・たらん~~!。
なにをやっとんじゃ~なっとら~ん~。
前よく行ってた店の慎ちゃんのこえが聞こえそうだ。

2009年6月4日木曜日

2012年の夢

2012年に何かが起こる。何処かで誰かが言ってた。
・・・だけど、そんな事が本とだとしても、とりあえずは今しかない。
今までもソウだった様に、急に変われるだろうか。。。?
・・・無理だ。たぶん。。
・・・そんな事じゃない。何がしたいかだ。
何がしたいか・・・?
いや・・・何が好きか・・って事じゃないのかな?
何かを好きななるってすごい事だと思う。
好きだって言えるってすごい。何かを好きになれば、
したい事も自然に出来てくる・・?
そんな気がする。・・・・ん・誰でもそうおもってるって・・?・・
そうかもしれない。
何が起こっても、それは、今までの結果ってことじゃないかな・・・
善い事も悪いことも、今までの流れの中で、出来上がってきた事。
・・・だから、何かを好きになって夢中になれる事。
それが、したいね!”
詩の唄えぬ歌唄いは、まだまだ、そんなとこに居ますよ・・・。
夢だけは見ていたい・・・。決して華やかな明るい夢でなくても、、、
せめて、このブログの背景程度でもいいさ、、・・・。
  けっこう同じ事何度も話すことがある。
それは、・・ 
、、、夢かも・・・・・・・・?!

2009年6月3日水曜日

ブログdeビュー

あ~また今日も暮れちまう。
何してたんだろう?
何時もこうだ。
昔からバカばかりやって来た罰があたったか・・・?
なかなか人の言ってることが聞けず。右から左。。
そして本とのギリギリになって、死にそうな顔してドタバタしてる。
なんてこった、、、。
またそれか~。
何かやっとかないと、2012年までも生きてられるかどうか・?
とりあえず、ここを見つけた。
気晴らしでも何でも、なにか書いとこう。
今まで籠り過ぎてたし、何か発見があるかも?・・・・・・
まあ、初回ということで、こんなもんかな...
biogって、良く分からないけど、こんなイメージかな・・・・。