2012年7月3日火曜日

プカプカ


いつか岡山に行ったことが有った。
岡山の女の子と付き合ってた事が有って、
会いに行ったんだけど、連絡もしないで行った。

夜中に着いて、辺りをぶらついていたらコンビニがあった。
当然手にはギターを持って、其のコンビニに入ったら、
其の店員が音楽好きで、気に入られちゃって、
裏の倉庫で休ませてもらった事が有った。

なんてラッキー!!

そして其の後ソイツの部屋に泊めて貰っちゃったりして、
歌なんか唄ったら喜んでくれて、楽しかった。

なかなかそんなに上手くいかないような事を経験出来た。

彼女にも会えたしね!

そして、鳥取の倉吉にも友達が居て、
そいつにも会いに行く事にした。

岡山の奴は電話が無く、
連絡先に他の友達の電話番号を教えてくれた。

また、いつか会おうってな感じで別れた。

そして俺は鳥取目指して旅立った。


そう、以前ここに書いた事のある、鳥取のアサだ。
アサにも何年かぶりに会えてその仲間たちと呑んだり食ったり、
そりゃ楽しかった。

鳥取に来たついでに砂丘が見たいといったら、アッサリと
「見たってつまんないよ、ただの広い砂場だよ」といわれ却下。
見れず終いだった。(笑)

鳥取の人にはそんなものなのかなーとか思いながらあきらめた。

そして帰る日、鳥取の駅に着いたら、
なにやらイベントとかやってて、
バンド演奏とかやってた。

アホナ俺たちはかまわず乱入。
セッションしてしまった。
多分グシャグシャだったと思う(笑)

しかし、どうした事かそのバンドに気に入られて
打ち上げまで乱入。
楽しかった鳥取体験。最後のうどんが美味かった。

そして何故か大勢に盛大に見送ってもらって鳥取を後にした。

帰りも岡山に寄るつもりだったが、そのまま帰ってきた。
一応、友達経由で、岡山で泊めてくれた奴に伝言をたのんだ。



そしてまた立川辺りで歌う日がつづくこととなるが、
当時は、歌ってるやつが多かった。

けっこう皆知り合いになったりして一緒に演奏したりもしていた。
中でも特に声を張り上げて歌ってるやつがいて、話しかけてみた。

岡山からやって来たと言ってったので、「行ったことが有るよ」とか
いろいろ話していたら、「もしかして、かんちゃん!!」と言われ
こっちはビックリ!

こっちも「もしかして、花ちゃん!」ってな感じで、なんと
岡山で泊めてくれた奴の連絡先になってた奴だった。

「世の中狭いね」とか、ありきたりの言葉をつい言ってしまった。(笑)
それもお互いに。

そんなこんなで、時はたってたが、こんな出会いもあった。


その「花ちゃん」が良く唄ってた曲です

”プカプカ”








2012年4月25日水曜日

ヒョウ柄スパッツに下駄


  朝、十時ごろになると、もう日差しが強くて寝てられない。

 車の窓全開で、中でダレてた。

  丁度、散歩コースにもなってたので、いろんな人に見られてた。

 ちょっと恥ずかしいが、それも修行だ(笑)と思ってた。


 とりあえず、大きな木の下、なるべく日陰に目立たぬ様に・・・
 しかし・・・ 毎日の様に目だってしまってた(笑)。


 夕方位になると、目立たぬ様に”ヒョウ柄スパッツ”に履き替え
    下駄を履いて水場で歯を磨き、ひげをそる。
  
 むろん、散歩してる人に見られながらだ(はずかし~!)

 しかし、負けてたまるか自分で選んだ道。

 髪の毛を後ろに束ねて、柄シャツを着る。

  夏場はたいてい、そんなスタイルで目立たなくやっていた。
                  (当然めだってしまうが・・)


 婦人服売り場に良く行っていた。

  安くて、気に入ったデザインが多かった。

 その結果、そういうスタイルにたどり着いてしまった。

  
 まるで目立たないよりは、少しぐらいインパクトあったほうが良いと思ったからだ。

 
 そしてギターケース片手に出かけて行く。そう
                          どっかの街へ

  
 歩きながら、今日は何処にしよう、何を唄おう、何から始めよう・・・・
いろんなことを頭の中で考えながら・・・・・。

 とにかく、金が入らない事には、どうしようもない。

そうだ。新宿か渋谷だ。

 初めの頃はよく行った。・・しかし
          人が多ければ良いってもんじゃない。

 自分の音が良く聞こえないし、
           皆が金を投げてくれる分けでもない。
 とにかく、疲れるだけだった。

   なんやかんやで最初に気に入ったのが立川駅。
                      それも夜中が良かった。


  人の流れも適度。音も良く響いた。
そして、、、ヒョウ柄スパッツも(笑)適度に目立ってたし。

金の入りもまあまあって感じだった。

 暫くは立川駅でヒョウ柄スパッツを披露する事となった。


そして、青梅線沿線をうろつく事が多くなった。

其の頃覚えた歌、ローリング・ストーンズの
「You Can't Always Get What You Want」懐かしいな。

そして金の入りが良ければ又いつものコースさ!!



2012年3月28日水曜日

福生カニ坂公園駐車場

よく福生カニ坂公園駐車場に車を止めて寝てた。

 その公園では、毎年、
   夏になるとロックフェスティバルが開催されるところだ。


 出演した事も有る。


 「福生カニ坂ロック・フェスティバル」だ。

 その時は、アコースティックギター二本と、俺は
  ボーカルと云う編成でやった。

 飛び跳ねたり踊ったり、ボーカルを楽しんだ。

 順番が最初のバンドだったので、客はあまり居なかった。(笑)

 
 フリーのイベントだった。だけど、
  出演者は皆、何かしら手伝わないと出れなかった。
 
 サボってたりすると、怒られたもんだ。
   いつも酔っ払ってたからね(笑)

 それが嫌で出演しなくなってしまった。
  まあ、メンバーがなかなか定着しなかったってのもあるけどね!

 
 そんなこんなの流れも有るけど、そこの駐車場は
  結構、静かで寝心地良かったよ。

 イベントの時はいつも、そこに居るわけだから、
  ちょっと足を運べば遊べた。っていうより、呑めた・・・か?!

 少し思いいれも有るし、寝心地良かった。
    とにかく、夜は静かなもんだ。真っ暗だしね!

 夕方位になると、夕日も綺麗だったし
   朝は朝で日の当たる時間がちょうど良かった。

 終電の時間ぐらいまで唄って、金の入りが良ければ、
  行きつけの、大好きな「慎ちゃん」のやってる
 広島風お好み焼き屋さん”何やSAZAE-DO”で朝まで呑んで、
  朝方、その公園の駐車場で寝る。

 それが、いつものパターンだった。

 そこの「慎ちゃん」は絵描きで、店の作りも面白く
 福島にある「さざえ堂」という建物に思いを寄せて造ったと言う
   曲がりくねった店だった。居心地よかったな~。

 いろんなアートの話とかしてくれて、すごく勉強になった。
  
  そこの”マグロの山掛け”が大好きだった。
 ボリューム満点、腹いっぱいってかんじだ。
   当然、お好み焼きもボリューム満点。もう最高の店だったね。

 その店で唄わせて貰ったりして楽しかった。
まあ、ガラの悪そうなお客さんも居たりしたけど、
 慎ちゃんが旨く仕切ってくれてて問題はなかった。
そう云えば、テレビにも出た事の有るみせだ。

 こんな俺を好待遇で唄わせてくれた。
  呑めや食えやで、”おひねり”まで集めてくれて、
             本当に楽しかった。

 今はもう、慎ちゃんの具合が悪くなって、もう辞めてしまったけど
  本当に「慎ちゃん、そしてマリちゃん」有難うね!
お世話になりました。
      朝まで寝かせて貰ったことも有ったしね・・・。

二度と経験出来ないような日々でした。大好きです。

 
 そうこうしてる内に、以前に働いてたライブハウスが
     忙しいから手伝ってくれと言う話があって、
 また暫くライブハウスに寝泊りさせてもらったりしてた。

 でも、やっぱり、呑んでばっかりで怒られて辞めさせられた(笑)

 もう、かなり前の話だ。
  其のころ、まだ小学生だった娘も、もう立派な大人だ。
なんだかこっちが恥ずかしくなってしまうよ。

 時は流れたんだね!
    ってなわけで、いつも唄ってた「井上陽水」さんの
  ”いつの間にか少女は・・”って心に来ます。

     俺が良く唄ってます。
         録音した音が見つかりました。
  

 

 そう云えば、又来ますね。「福生カニ坂ロック・フェスティバル」が・・・・

2012年3月23日金曜日

LIVE,live,ライブ/オベイション

仕事は、適当に、音楽活動に没頭してた。

 初めは一人で弾き語りで、、、

  しかし、マイクに縛られるのが嫌で
      オベイションを買った。
 良い音してたよ。(俺の歌は別として・・・)

  そのうち、メンバーも増えてバンドになった。

 しかし、俺の歯は義歯だ。噛み合わせが悪くて
      悩まされたものだ。

 なかなか、納得いく歌が唄えない。

 練習、練習ってメンバーに良く言ってた。

 週に3回位スタジオに入って、月に4回位LIVE。

 みんなイヤイヤやってたもんだ。

 そりゃー疲れるよね。

 それでも、まだ足りないと、メンバーにけし掛けて
 
  其のうち、皆離れて行って、又一人になった。(笑)

 そのころは、LIVEで知り合った女の子と二人で
  ワンルームにすんでた。派手な娘だった。
 しかし、実は、音楽の趣味が合わない(笑)

 なんやかんや、良く喧嘩したものだ。

 彼女はヘビメタ、俺はロックンロール。
         合わないよね。

 俺が、ある年越しのイベントに行って
そこには、彼女は来ない。そして彼女は
 年越し蕎麦を一緒に食べようって言ってたのに・・

 イベントが盛り上がって帰らなかった。

 その後、大喧嘩。

 もう部屋に入れてくれない。鍵をあけてくれない。
  チェーンも掛けて俺は入れない。帰れない。

・・もう、別れよう。そう決めて窓を割って中に入って
 簡単な荷物だけ車に積んで、そこを出た。

 其のときは、仕事もしてなかったし、
  外で歌いながら自分がどこまで出来るか
 試してみたい気持ちもあったし、良い機会だと思った。

 それから、ホームレスの歌唄いの日々が始まった。

 運良く車があったから、そこが塒だ。

 冬の寒い日だった。

 どこまでやれるだろう?

 其の日其の日ギターケースに投げ入れて貰った金だけで
生きて行くんだ。自分に言い聞かせながらやってた。

 いろんな時が有った。

  俺、このままどうなっちまうんだろう?!

 水だけの時もあった。何万円も入る時もあった。

 毎日が賭けみたいなもので、泣きそうになる時もあった。

 しかし、始めてみると、もう戻り方さえ分からなくなってしまってた。

 
 いつも、調子良い時ばかりならいいけど、風邪だってひくさ。
 それでも馬鹿みたいに唄ってた。金の無い時は最悪。

 金が入らない事には休めない。
     バカみたいに朝っぱらから夜中までやった事もあった。
 もうヘトヘト、声もでない。

 立って唄ってたから足もガクガク。ひどいもんだ。
    おまけにみっともない。

 しかし、それしか出来なかった。とにかく、やった。

 「ああ、今日も水だけか・・」とか思いながらね・・・。

 始めた頃はオリジナルばかり唄ってたけど、
  リクエストが多い。歌謡曲とか・・・
 其のほうが、金を入れてくれる。

 ほとんど流しの世界さ、、、、、

 でもそのおかげでなんとか生きて来れた。

・・・そう、だいたい三日我慢すれば、いくらか入ってなんとかなってた。

 神様もなかなか捨てたもんじゃないな・・とか思った。
  生かさず殺さず、やってくれるもんだ。

 いろんな奴と出会った。面白いやつがいっぱいいたな・・・

 いろんなとこでやった。いろんな場所でやった。
 いろんな事が有った。  そう

 雨の日も、風の日も、雪の日も、炎天下の下でも・・・
  楽器には良くないけどね・・!

 オベイションも、もうボロボロになって来てた。
   
  お疲れ様「オベイション・レジェンド」がんばったな!

 俺がもっと歌が旨かったらな・
       お前にも苦労掛けないですんだかもな・・・?!


 なかなか納得いく歌の唄えない日々だった。


そのころ、良く唄ってた歌です。

 吉田拓郎さんの「せんこう花火」という曲です。

 唄わせてもらってます。

2012年1月27日金曜日

そんな、こんなで、飲んだくれ!?

・・・・ってな流れで千歳船橋に2年ぐらいは居たかもしれない。


 その友達は、まだ学生で、年で言えば二つぐらい下だった。
でも、何故か、息が合うと言うか何と言うか、良く呑んだものだ。

 
 
 ソイツは「ビーチ・ボーイズ」が好きで、良く聞いた。

アパートのすぐ近くに小さなお好み焼き屋が有って、
 
  そこで呑んだり俺の部屋で呑んだり、奴は下宿で狭い部屋だったが、
      そこで呑んだり、とにかく良くのんだ。

 音楽の話、人生の話、生き方だの女だの、、、

 働いた金はホトンド呑み代ってな感じだ。

 部屋を借りた時の金は、その学生に借りた(なんて、情けない・・・)

  しかし、ソイツは何故か俺のこと好いてくれていて、
良く付き合ってくれた。

 もう一人の友達は、音楽や流行、そしてアートなど詳しくて、
いろんな情報を教えてくれた。

 三人で良く呑んだ。ソイツは酔うとパフォーマンスが激しく、
近くにある農大生のレスリング部の奴と喧嘩になって、
      大変な思いもした事は有るが、
面白い奴だった。・・・しかし、今は亡き人となってしまったが、
       ・・・     楽しい思い出だ。

 音楽やアート、そしてパフォーマンスの話はよくしてたが、
それらしい事は何もしてなかった当時、かなりその二人には影響された。

          俺も何かやろう!

 正直。近くには下北沢や吉祥寺というカッコウのスポットがある。
しかし、人混みは、好かない。しかし、やってみた。

 ギターをもって、下手くそな唄を思いきってやった。
でも、・・・ドキドキしながら・・
   そりゃ~、情けないものだった。(はずかし~っ!)


 まあ、なにもしないで居るよりはマシか・・
          そう言い聞かせながらやってた。

 通り過ぎる人がほとんどだが、当時知り合った人はそれなりに居る。
(今は、ホトンド付き合いはないが・・・・)

 とにかく、金が入れば呑みに行く。いつものメンバーで・・
           それが、お決りだった。

 いつも行くお好み焼き屋さんは、学生さんが多かったが
芸能関係の人も良く来てたみたいで、なんか面白かった。
 
 当時「FM富士」の番組を持ってる人も来てた。
失礼な事に名前は良く覚えてないが、シンガーソング・ライターの人だ。
                         御免なさい。」

 そこのお母さんに俺は「ガチャガチャさん」と呼ばれてた。
今も、元気で居るだろうか・・・?!

 ほんの2年ぐらいの間だったが、千歳船橋には、思い出がいっぱいある。

 その友達、お店、知り合った人たち。いつかまた会いたいです。

    そういえば、いつだったか行った時、
お好み焼き屋さんのお母さんと写真を撮らせてもらいました。
                     懐かしいです。

                其の当時を思い出します。

 家賃も貯めたまま、払えずどうしようか
    (家賃1万5千円を3ヶ月ぐらい)、悩んでたら
運良く、前に働いてた運送屋さんが忙しいから来てくれと言われ
家賃と引越し代も出してくれると言うので、
     荷物も少ないし簡単に又、青梅に戻った。
 本当にラッキー!

 こんなこともあるんだと、つくづく思った。感謝、感謝。
この会社に勤め続けよう!・・・と思った。
 
 しかしそれも、1・2年ぐらいで其の会社は、
その後、倒産してしまって、またまた、
  「糸のきれた凧」状態になってしまった。・・・

 その」時はバンドを組んでたので、スタジオ代とか、苦労した。
いろんなバイトしながらなんとかしてた。

   ・・・いや、スタジオ代と言うより呑み代か(笑)・・・・・・!?
                 
 と云うわけでご機嫌にビーチボーイズでも・・・・・・・・・・・!!                     

2012年1月14日土曜日

風に吹かれて・旅立ち

「これ以上、お前の世話になる訳にはいかない・・・・
 
   俺は旅に出る。帰ったときまた会おう・・・・・」


  と言った内容の置手紙を残して、奴は出て行った。

 
 ソイツの作る歌は好きだった。しかし、
  やっぱり一緒に生活してると、いろんな問題が出てくる。

  些細なことだったり、女がらみだったり、生活習慣だったり、

 今思えばつまらん事で、ケンカしたこともあった。

  良い詩を書く奴だったから、手紙の内容もドラマチックな内容で、

 少し涙ぐんだりしたりした(笑)。

  とにかく、一旅してまた一回り成長して(身長じゃないよ・・・)
 帰ってくるのを楽しみにしてた。

 そして、俺も、一人暮らしの3LDK生活は厳しいのもあったし、
 俺も、何か始めようと、少し都心に近い所に引っ越した。

 仕事は青梅に通ってたけど、
    府中の分倍河原と言うとこに引越しした。

 都心に行くにも、アメリカに近い町に行くにも
         丁度良い感じかなと思ったからだ。

  まあ、その辺りから自分でもLIVEHOUSEとか、
 出演するようになった。


  しかし、

 本当にソイツほどギターもうまくないし、

        歌も自信ない。

 そんな時、年は、一回り位上の大先輩が、

 「うまくなってから、ライブやろうとか考えてたら
    いつまで経っても出来ないぞ、
   やりながら、うまくなって行くんだ・・・」

 と言われ、その言葉は今でも残ってる。

    しかしその先輩は昨年亡くなってしまった。
  昔、カルメン・マキさんと一緒にやってた事のある、
  
 室井良友(G.Vo)さん(ヨーさん)である。
 
   ロッカーが一人いなくなった。淋しい話です。

  そのヨーさんに励まされ、マズは一人、そしてバンド
   と言うところまでなってきた。
  とにかく、そのころは当然若かったし、勢いでいけた。

 仕事も休み無し、唄も必死に頑張ってた。
 
  
 しかし、金の使い方がへたくそで、いろいろ大変だった。
 
  住む場所もあっち行ったりこっち行ったり、
  
 仕事も、あれやったり、これやったりで、メチャクチャ。

 だけど、ライブだけはやっていた。

  もともと不器用な俺は、ほとんど惰性でやってたようなもんだった(笑)。

 
 なかなか旅立って行った奴のようにうまく出来ない。
  恥ずかしいライブが続いた。(今、思い出すだけでも恥ずかしい)
  
 しかし、とにかく、やってた。(とりあえず、奴をこえてやるってな感じで・・・)

 
 今は、其のバンドもバラバラになってしまったが、

  ヨーさんの言葉が無ければそんな経験もできなかった。

       「ヨーさん、ありがとう!」


 そんなこんなで、そのときは、世田谷は千歳船橋に住んでいた。

  四畳半一間、トイレ共同、風呂無し。

  しかし、そこも、けっこう快適だった。
 旅立った奴の置き土産。友達のおかげだった。

  本当にみんな有難う。楽しかったよ。

 相変わらず集まれば音楽の話で盛り上がってた。
  そして、相変わらず、酒あおってた(笑)

  でも、其の中のメンバーの一人は、もう何年か前に死んでしまった。

  何年も経ってから知った。

 人間って本当に、明日はどうなってるか分からないものだと思った。

 なかなか思った様に行かない。今を大事にして行くしかないんだな・・・?!

 そんなこんなで、風に吹かれっぱなしの俺です。

  ああ、運良く今日も生きれた、合掌!!

 そんなわけでボブ・ディランの「風に吹かれて・・・」