2011年10月3日月曜日

 フェンスのこちらは・・!?(I Can't Get No Satisfaction )

「早く仕事探せよ!」って、そりゃ、そーだよね・・。
丸っきりの居候。・・当然のような顔して、
言いたいこと言ってた。

もっと、こうしよう。とか、
コレじゃダメだとか、
一番ダメなのは、自分なのにね!?

とりあえず、街を歩いて、募集してた、”バーテン”
と言う仕事にあり付いた。
っといっても厨房の中が多かったけどね。

田舎出身の俺には、まるで未知の世界だけど、
今日から、すぐ来て!っと言われたので、
「はいっ」ッテことで、働き出した。

相方は、昼の仕事だし、俺は夜で、互いにぶつからないし、
バンドは、週に何度か、スタジオに入ってやってた。

まあ、何とか、慣れない仕事だけど、してた。
女の子を使ってる店で、当時は結構、流行ってた店だ。
今で言う、キャバクラ的なトコだけど、料理なんかも、
しっかりした物を出してる店だった。

ホントに、右も左も・・・?
って言う状況だったけど、色々、丁寧に教えてくれるチーフが居て、
何とか、働けてた。

まじめに、仕事だけに、集中できればいいものを、
やっぱり、生まれつきと言うか、いつまでも直らない、
俺の性格が、出てしまう。

明日はバンドの練習なんで、休みます。・・とか、
この仕事に関しては、興味ないです。
とか、平気で言ってた。・・・また、それ!・・?(笑)

・・お客さんの前で、そんなこと言うモンジャ無いよね・・まったく・・!

それでも、結構お客には受けてたりして・・ってか
皆に面白がられてただけだけど、そんな中でも続けられてた。
カラオケもその時、いろいろ歌わされたりして、
いろいろ覚えちゃったりした(演歌とかね・・!)。

客に進められて、酒飲んで、酔っ払って、唄って、帰る。
・・ほんとに仕事してんの・・?! ってなぐらいの毎日だった。
でも、店に居る時は、ホントになにも知らないモンで、
言われたことは、酔いながらだけど(笑)やってた。
気をきかすってことは出来なかったけどね。(今でも、そう)

なんとか、収入と言うものを作れるようにはなったんだけど、
ちょっと、金があると、メンバー誘って呑んじゃったり、
いろいろ夜の店を探索したり、
全然、金が残らない。
ちょっと、気の合いそうなやつが居ると、
「一緒に、バンドやろうぜ!・・とりあえず、呑もうぜ!」
ってのが口癖だった。・・夢多き時期だったね。

「バンド」って言う響きに夢を感じてたのかも・・?

当の自分のバンドは、サッパリで、なかなか音がまとまらない。
俺がいろいろ言い過ぎるセイかも知れないが
・・うん、大いにあるな・・・?!

まあ、なんだかんだ、そんな毎日の中で、
すっかりその街に慣れてきちゃって、
毎日、ベロベロってかんじ・・・?!

ライブハウスが、そのせまい街に3件位あって
あっち行ったり、こっち行ったり、
・・そういう意味では、ラッキーな街だった。
外人も多かっし、ロック、とかブルースとか、身近にあった。

でも、そうなってくると、
ますます自分のバンドとか、情けなく思えてきちゃって、
それをメンバーにこぼす。・・うーん、まとまらないよね・・!?

ただ、バンドをやってるってとこで、やっとスタートなわけだからね、
急ぎすぎだとは思うけど、早くステージで、
「俺たちゃ、ナンバー1だぜ!」ってことやりたかったんだよね!

それでも、あーじゃない。こーじゃない。って
メンバーと語るのは、それはそれで、楽しかったよ。

しかし、外人さんも多いしライブハウスも多いし、
英語が飛び交ってるし、
なんか、いいトコ来ちゃったって思ってた。
なにか出来そうな、始まりそうな、
怪しげな感じが、たまらなかったね!・・?

日本人のオジサンたちも、ヒッピー風な感じが多くて、
いろいろ、ものの見方、考え方とか刺激があった街だった。
昼間は、ちょっと淋しい街だったけどね。

俺の中では、その街はやっぱり、ストーンズのイメージが強いね。
日本のローリング・ストーンズみたいなバンドもいたしね・・(笑)

あと、メンバーとよく”オーティス・レディング”の話してた覚えがあるな。

これも、ストーンズ絡みになちゃったけどね・・!? 






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