2011年10月3日月曜日

マメタン50

 とにかく、まわりの景色は山、また山。
川もそんなに大きな川でなく、ほとんど、沢と言うほうが解りやすいと思う。
バスも本数は少なく。一日4本ぐらいで、バス停まで4、5キロ歩きだった。
冬場は雪が降ると通えないので、寮に入ったり下宿だったり。
16歳になって原付免許をとってからはバイク通学をしていた。
”マメタン50”っていう50CCのバイクをいろいろ手を加えたりして乗ってた。

どちらかと言うと、不良学生のほうだった。
あまり ”仲間とつるんで・・・” ということはなかったが。
良く、一人でバイクでブラブラしてた。
家の仕事を手伝ってればいいのに、なにか理由をつけては、出かけてた。
いつも、では無いけどね・・。
友達が、皆でどこか行こう、とかいう話しがあっても、
家のことが気になって参加もしなかった。といっても、
あまり誘いも無かったけどね。中途半端な感じだった。
なんか、人とつるんでワイワイやるタイプではなかった。
なにか、一人で、あてもなくバイクでブラブラしてるか、ドラムたたいてるか、
ギター弾いてるか、ってなことが殆どだった。
学校の成績は最悪の状態。 まァ、それでも語れる友達はいたけどね。

良くバイクで山道を走りながら、大声で歌ってた。
その瞬間だけのオリジナル曲を・・・(デタラメだけどね・・)
適当な言葉を並べてメロディー加えてバンドのイメージしながら・・・
今のフレーズいいな~とかおもいながら。
書き留めてないから、時がたつと忘れたりするんだけどね(笑)
そんなことにハマッテタ。

冬場は、寮に空きがないと、下宿になってしまう。
あまり人と和気あいあいが苦手な俺としては、そのほうが良かったけどね。

下宿が学校に近かったので、ちょこちょこ帰っては、気の合うやつらとダベッテタ。
ロクデモないところを下宿の人に丸出し(親が悲しむよね・・まったく)
音楽ガンガン聴いてたし・・・
でも、心の広い人で。頑張れよ、ぐらいの事を言ってくれてたきがする。
いろいろ迷惑掛けました。本当におせわに成りました。ありがとうございます。
もうずいぶん昔の話なんだけどね・・。

家が近いと何故か、友達とも一緒に居ることも多くなってきて、いろいろ語り合えた。
そんなものかも知れない。親しいヤツ限定だけどね。(当然・・)
将来の話とかしてると、「お前は決まってていいな。」とかよく言われた。
おれ自身、なんとなく音楽以外のことって考えれなかっただけなんだけどね。
東京に行ってバンド組みたいって、漠然と思ってただけだし、具体的なものは何もなかった。
いわば、全然、真剣には考えてなく”思い”だけの話。
とりあえず、東京に行くってことだけだ。

友達は、真剣に考えてて現実的なことを言ってた気がする。
そんな友達に「お前はいいな~」って言われてたなんて今思うと笑える。
まあ今でも俺はそのまんまだけどね。そいつらはもう立派な大人やってるし。

山の中で育って町に出て、何処に行ったら良いのか分からなくなって、あの時のまま、
迷子になってる気がする。

自分の居場所に困ってマメタンにまたがっていろんな夢物語を思い。
たどりついた所で、慌てて帰り道を探して、夜も更け、星の光にまた、夢を見てる。

”オリオン座の空の下で・・”と言う詩は、そんな詩かも・・(自分の詩なんだけどね・・)
なんでも、イメージだけで動いてしまって、今になって気がついて、
まだまだ、これからの、”詩の歌えぬ歌唄い” です。

車もあまり通らない信号の無い道を風を受けながらバイクで走るって気持ち良いよね。







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